再会ってないなー

みのさんへ

花粉症のこと、コップの水が溢れるように、体内に蓄積された花粉量が一定量を超えて発症する『コップ理論』でいわれてたよね?へぇ、今は、花粉などのアレルギー要因は、自分が持っている免疫力とシーソーのようにバランスを取っていて、花粉が多くなり傾いて花粉症が発症する『シーソー理論』なの?知らなかった。ううむ、ここ数年で軽い花粉症を発症した私は、うまくバランスとって打ち勝つことができるのだろうか?自信ないけど、『コップ理論』より『シーソー理論』の方が、希望もてるね。

みのさん、“再会”があったんだね。長いこと続けてたことがあって、そこをたどって、連絡とれるようになって…なんて、みのさんらしいな。コツコツその道に努めた人にある機会って感じ。私は、以前も書いたけど、やめたことだらけのせいかな、再会ってないなー。

さて、一緒に習い事していた時の人たち、先生との再会は、いつかな、もうしたのかな?また、その時の感想など聞かせてね。

再会がほとんどない私でも、日々なんかしてると、大袈裟なものではないけど、“出会い”みたいなのは、ある。お互いよくわからない間柄だけど、話しかけやすくて、イベントの案内をしてみたり、その反応をみながら、「こういう人柄なのかな?」と想像してみたりね。それが、今後どういうつながりになるかは未知数だけど、新たに出会っていくのもいいね。あ、春のせいかも?私の周囲、職場でも、新キャラ続々登場しています。旧知の人と、新しい人、リアルタイムでの人とつながり、いいね。

 

きみ

 

人生お散歩中

きみちゃん

 

何だろ、『自分発見』?

『自分見つけ』?

『あらまそうなのね自分って!』?

…なんかいい感じないかなあと探してみたが、如何せん、わたしに語彙がなーい。

確かに自分探しって言葉、私も使ってこなかったのだけど、

ラカンになった今、言えちゃうわ。

若い時とはそのイメージ、ニュアンスの違う言葉として。

(ほんとは他の言い方見つかるといいんだけどねえ…ちょっとプスプス。ま、いっか)

今の私は人生ぷらぷら散歩してるみたいだ。そんで脇道それたり道草したりして。

なんか見つけたり出くわしたりするの楽しみにしてるよ。

 

きみちゃんも下書き保存、別の場所にしてたんだね。ふふふ、なんかホッとした。別に何でもいいのよね、それで困ってるってわけじゃなし。自分のやりやすいやり方でね。

 

さて、花粉症と言えばさ。『コップ理論』って言われてきたじゃない?コップの水が溢れるように、体内に蓄積された花粉量が一定量を超えて発症するってさ。

今は『シーソー理論』なんだって。花粉などのアレルギー要因は、自分が持っている免疫力とシーソーのようにバランスを取っているんだけど、花粉が多くなって傾いて、花粉症が発症するんだって。だからバランスを保てば症状を抑えられるそうだ。

免疫力をアップさせ、花粉などのアレルギー要因を体に取り入れないようにし、ストレスを溜めないようにするのがいいらしい。

きみちゃんシーソー理論、知ってた?わたし知らなかったから、へええ〜〜と感心したよ。とにかく免疫力アップは万病の予防だわね。基本だね、適度な運動、栄養、睡眠。

健康を心がけることでこれから先、花粉症の症状が出なくなる時も来るかも!ってシーソー理論のお陰で希望出たぞ私。

 

話変わって。

つい先日、古い知人から連絡があってね。きみちゃんと私が出会った、あの習い事で一緒だった人だよ。クラスが違うからきみちゃんは知らない人かな。あの習い事の事務局に私の連絡先を問い合わせたんだって。この御時世だから、本当にその知人なのか、事務局に間に入ってもらったまま確認して、本人だとわかってから直接のやり取りをしたのだけど、何しろ、約30年ぶりだよ?びっくりしたよ。御無沙汰過ぎて、何かの勧誘だったらどうしようってまず思っちゃったね。でもそうではなく、久しぶりに、先生と何人かで会いませんか?というお誘いでした。

30年ぶり。

若い時に、あの習い事でたまたま一緒のクラスだった仲間。

もうあの頃のようにたくさん食べたり飲んだりも出来ないショボい胃袋だけど、

いいね、会いたいね!と思ったよ。

そしてそう思えた自分に、ああ、私、元気になったな…と改めて思った。元気じゃないと会いに行く気力なんて全然湧かないもの…うん、元気じゃない時期もあったから…

その知人は、2人くらいとは交流が継続していて連絡先を知っているそうで、その仲間で会えばいいのに、私を探し出してくれるなんてねえ(笑)

また会える日が来るなんて思ってもいなかった皆さん。

生きてるとこんなこともあるんだねえ。なんてね。素直に嬉しいよ。

先生にも会えるから、きみちゃんに会いに来月京都に行くこと、へへ、話していい?

 

あっそう言えば、去年、約50年ぶりっていう凄く大きな再会、あった!!

3年ぶりっていう、幸せな再会もあった!

50年と3年じゃ、なんか3年が「みじかっ」ってなるけど、相手が若い人なので、3年は充分大きかったよ。

この2つの再会は、神様がご褒美くれたのかなと思ったくらいの出来事だったなあ。

 

こういう懐かしい再会ってこれから増えていくのかもしれないね。

そういう年齢になったのかもな。

 

 

みの

 

 

 

 

 

 

 

今頃、気づくこともある

みのさんへ

私も、ここ2~3年前に花粉症デビューしたの。ただ周りの症状のひどい人に比べると、マシなようで、外出時の涙と鼻水程度なので、通院もせず、この季節が過ぎるのを待っているところです。

 

ブログの下書きかぁ…利用してない。というのも、まず、Wordで文章を打って、それをコピペしてるのだ。そうか、ブログ上で下書き保存できるのね。うーん、でも、私はしばらく、このコピペ方針でいきそうです。

 

“自分探し”以外で、そのニュアンスの言葉って、思いつかないな。

思いつかないけど、積極的には使わない言葉。以前どこかでその言葉に対する否定的な意見を聞いた時に「わかるわかる」と思った感覚だけが残っているのかも。

でも、アラカンになっても「私って、こういうこと好きなんだ」とか「こういうことは苦手なんだ」とか、「意外と“ただやってきただけ“のつもりのことが、張り合いだったりして」とか、気づくことあるね。それも、「やっていくうちに、わかるもんだ」の例かもしれないね。なんだか、今日は抽象的なことばかり、ま、こんな日もあるか。

 

 

やってくうちに わかるもんだ

きみちゃん

 

もしかして今年花粉飛んでないのかなあ?と思うくらい、花粉症の症状がなく、ああ年取ると体質変わるって言うしね、いやー楽チンだなあ〜と過ごしていたのに。

つい数日前から、わたくしの今年の花粉症が始まりました。

え〜今から〜〜?

そして猛スピードでティッシュが減っていく。

 

ところできみちゃん。私、このブログの下書き保存の仕方を今日初めて知りました。

いやどうしたら保存出来るのよ?って思ってたのよ。

だから何回も途中で消えちゃったし。ならば、とコピーして他の場所に保存しておくようにした。

まあわからなくても、ちょっと不便だけど、そこまで困ることでもないやって。

やってくうちにいつかわかるでしょって。

あのさ、やってくうちにわかるもんねえ、だいたいのことって。

で、今日、とうとう「そうだったのかあ」ってわかった。下書き保存するって、もう1回そこを押さないといけなかったんだねえ。気がつかなかったあ、ははは。

小さなことでも、ある日ふとわかると、とっても嬉しいねえ。

 

”自分探し”っていう言葉。もうちょっとピタッと来る言葉あるといいなあと思うんだけど、私の語彙の中には見つけられてないや。年を重ねた今だからこその”わたし探し”?

私が気づいてない私。気づいてなかった好きなこととか好きなものとか好きな感じとか。好きじゃないと思ってたものの中にもあったりして。

楽しみだなあ。

 

みの

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

加齢でも、加齢だからこそ、大事にしていること

みのさん

 

眠れないのは『加齢』も原因があるのか…やられた~って感じ。

よく、高齢者が朝早く目が覚めるのは、「寝るのも体力がいるから」と言われてて、

それは知ってた。ううむ、あ、でも、いいわけみたいだけど、あの夜眠れなかったのは、昼間のニュースで私の気持ちをざわつかせるニュースがあったからかも、と。

普段は眠れる夜がほとんどで、しかも、爆睡派なので、問題はないと思います、今のところ!

 

みのさんが、前回の日記の中で、みつけたメモの言葉として、

“いつだってひとは生きてるうちは自分探しをし続けるんだな“

とあったね。

私、『自分探し』という言葉は、ちょっと馴染まないのだけど、自分なりに決めていることというか、そういうふうにしていこうと、最近、思っていることがある。

 

これも以前の日記で書いたけど、

「続けていることなくて、自慢できることも趣味も特技もなくて…」と、

まあ、そんな中、“私には言葉がある”と思ったりして、と。

 

それだけでは、なかなか生きていけないし、何を励みにというか、何を大事に、何を指針としていきたいかを考えてみたの。

 

いくつか思いついた。

 

「好きなことを好きと言っていこう」

「私は人好きかどうかわからないけど、どうやら、人をそう簡単に嫌いにならないようだ。そんな自分をこれからもやっていこう」

「ダメで情けない自分を知っているせいかもしれないけど、私は底辺でいよう…実際、大抵の人は私よりスゴイ人と感じる」

 

抽象的な表現もあるかもしれず、みのさんにうまく伝わったかわからないけど、このことに気づいて、そうやって“私”を生きていこうと決めたら、なんか楽になったようなところある。

              

アラカンですもの、素直に頷く『加齢など』

きみちゃん

 

眠れない夜か。

そう言われて最近眠れてるな、と、気づかされた。

数年前までは眠れる夜の方が少なかった…いや無かったのよ、眠れる夜。アトピーが酷くてね。痒くて痒くて寝られなかった。

今はマシになりまして。痒みが治まるとこうやって眠れるんだねえ。全然違うよ、眠れるって嬉しいことだよねえ。

あっきみちゃんが聞いてるのはそういうんじゃないよね。

そうねえ、たまには眠れない夜、誰もあるんじゃないかな。

と言いつつ「眠れない なぜ」でちょっとネット検索してみた。

あらやだ。一つの原因としてだけど、お馴染みの言葉、

「加齢など」

はいはいはい、来ました、ザ・「加齢」。

私らへの毎度切り札ワードだね。

あれも加齢。これも加齢。多分加齢。きっと加齢。

…ってことでいいのかしらあ!

 

そうそう、今日ね、自分の面白いメモを見つけた。

そこらの紙に書き留めてた。日付が記されていて、去年の12月だった。

きみちゃんと交換日記を始める前だ。

 

『ひとは、年寄りになってからが1番の勝負かもしれないと思う』

『自分探しは若い時のものかと思っていたが年寄りだってしている』

『若い時の自分探しとは違う』

『いつだってひとは生きてるうちは自分探しをし続けるんだな』

『どうやって、この下山を、味わっていけるのか』

『納得しながら、下りて行けるのか』

 

うん。交換日記を始める1か月前くらいの日付ですね。

このメモに書いた思いが…きみちゃんへの交換日記お誘いに繋がっていきました。

二人のアラカン交換日記ビギニング。なんちゃって。このメモ取っておこうっと。

 

みの

 

 

 

 

 

 

 

 

 

年を重ねるといろいろ…原因不明もあるし、ね

みのさん

体調不良、あるよね。でも、みのさんの頭痛、吐き気は心配だなぁ。健康診断のついでにでも相談できるといいね。私は、こどものころは、すぐ熱出したり体弱かったのそれこそ、おとなになったら丈夫でそれが取り柄と思っていたけど、それなりにあちこち、故障もするって感じかな。私の場合は、そういえば、“突然”系だ。20代後半の頃、「歩いていて胸が痛い」となり「心臓?」とドキドキしながら病院行ったら、首の骨が変なふうに曲がったため、胸あたりにつながる神経を圧迫したための痛みと判明し、首の牽引したことがあったな。そのあとも、ギックリ腰や、突然の腹痛は盲腸で、急に朝方手がしびれだして、それは手根管症候群で、先日は、急な胃痛。これは、おそらく胃酸過多ということで、ともかく、「今まで感じたことのない痛みが突然やってくる」傾向にあるみたい。知らない痛みは、不安だよね。でも、今は、スマートフォンで調べられるから、ずいぶん、便利になったよ。なんとなく“コレ”らしいとあたりをつけられるし、病院に電話入れるのも、症状と予想される病名なども言えるし、電話するときの落ち着き度が違うと思う。

 過去の手帳か、とってあるけど、あまり見返さないな。ともかく、なんでも忘れがちなので、手帳は欠かせないのだけど、もっぱら備忘録。手書き派なので、スマートフォンを手帳がわりにはできないタイプ。でも、この交換日記は、この後続けていって、読み返したりするの楽しみだね。いや、「何書いたっけ?」と忘れて見返すことも多そうだなぁ、ひぇ~~~。

 ところで、みのさん、眠れない夜ってある?

いや、私も基本は爆睡派で、一瞬で寝るタイプなのだけど、たまに、なかなか寝つけないときあるの。昼寝したわけでも、体調不良でも、疲れてないわけでもなくて、空腹でも満腹でもなく、お酒飲みすぎているわけでもなく、なにか不安材料があるわけでもないのに。「ん?なんで、今日眠れないんだ」って、我ながら不思議で。昨日がそんな夜で、「へーんなの」と思って。ま、そのうち寝るんだけどね。そんな夜もメリハリでいいのかもしれないね。