ささやかに続けているもの

きみちゃん

 

私が止めないで続けてること?

どれもささやかな事だよぅ、ええとね、例えば、、、

ジャーン(って言う程のものでもない、ははっ)

スクワット20回(一応毎日)。

きっかけはですね、ある日、ええ、ごくごくいつものように洗い上がった洗濯物を洗濯機からポンポン取り出し。その洗濯カゴを中腰でしゃがんで両手で持って普通に立ち上がろうとしたら。

全く立ち上がれず、アレ、アレレ?となり、結局洗濯カゴをまた置いて、壁に手をついてやっと自分の体を立たせ、そして腰曲げて洗濯カゴを持ち上げた。

つまり『しゃがんだら自力では立てなくなっちゃった日』が来た。

ショックの私は、ああ忘れもしない。籐のゴミ箱をバッと両手で抱え、しゃがんで持ち上げようとした。でも、やっぱりね、ダメだったね、ゴミ箱抱いて、ただただ、しゃがんでたよ。ハタから見たらゴミ箱を愛おしそうに大事に抱えてしゃがみこんでるおばさんだよ。よっぽど想いの詰まった宝物のゴミ箱なんでしょうねって感じだよ。

トドメはね。外出先でお手洗いに入ったら、女子トイレお馴染みの行列があったんだけど、和式の個室は皆さん入らなくて、2つ空いてたのよ。その時一緒にいた同世代の友人が躊躇いもなくじゃあ和式に〜って入って行ったので、私もサッサ済ませる友人を長らくお待たせするより、、、じゃあ空いてるし、、、和式に、、、とついつい、、、

 

あのさ。

公共のその、和式の、個室の壁とか、ほら、ねえ、、、触りたくないじゃない。

自分の膝とかを押してさ、支えにして立てば何とかなる、そうしようと思ったんだよ、で、そうしたんだけど。

立てませんでした。

だいたい膝が使い物にならねえ〜〜中腰立てねえ〜〜

どっか触るしかねえ〜〜1番近くで触れるものは目の前の白い金隠し〜〜ちょっとそれはそれだけはカンベン〜〜

で、結局、、、壁の力を、、、お借りするしかありませんでした。

 

スクワット。決意して始めましたね。

そうねえ。コロナ期前からだから、5年は続けてると思う。

1日たったの20回だけど。もうちょっと出来そう、っていう回数にしないと、今日これだけやったから明日はいいやってなりそうだな私は。と思って20回。だから続いてる。

3か月くらい続けてたら、あっ、なんか立てるようになって来た?と手応え(足応え)があり、

半年くらいしたら、スッと立てるようになってた。

 

そりゃやっぱり、やれない日、やらない日もあるよ。でもシレッとまた次の日から涼しい顔でやる。

あの和式トイレの事を思い出せば、、、もうあんな目にあいたくないもんね。

スクワットは止められないね。

 

とまあ、切羽詰まった事情ではあったんだが、続ければ効果ってちゃんと出るんだなという成功体験をしたので、始めたなら続けてみようってものがいくつか増えていったんだと思う。

口笛が1番新しく私の『お続け仲間』に加わったものというわけですな。めちゃめちゃ上手くなりたいとか人様にお聞かせしたいとか、そういう大それたものではなくて『老化で吹けなくなる』なら、復活出来たから、いつまでも吹けるようにキープしちゃおうっと。という呑気な楽しみ。

そんなくらいのものばかりだよう。

 

ところできみちゃん、止めてきたことばかりって事だけど、読書、そして文章を書くことは私より続けてて、そこ、私は刺激されるよ。

私は老眼が進んだせいもあってあんまり文字を読みたくなくなっちゃたり、文章を書くのもめんどくさくなっちゃったりしてたから、この、きみちゃんとの交換日記が、私がかつて好きだったことをまた少しずつ取り戻させてくれそうで、そしてこの年ならではの発見も出来そうで、これからが楽しみなんだ。

 

みの